▼ 2009/01/12(月) 大平養護学校卒業生成人式に参加して
2009/01/12 21:23
今日は、僕が大学で働いていた時の患者様の親から招待を受けて、大平養護学校卒業生の成人式に参加してきました。自分が受け持ったのが13歳頃だったので、もう成人になるのかぁ...と思うと感慨深いものがあります。
成人式に参加してみると、一度診断書関係でクリニックを受診した子や、以前に診療していた子とも再会することができました。みんな元気でうれしかったです。
成人しても、周囲の手厚い協力、援助なくして暮らしていけない彼らの表情は、それでも、自信ありげで、頼もしく、素直な喜びに溢れていました。
式の締めくくりで、成人代表が、『これからも周りに助けてもらいながら頑張っていきたいと思います』と述べたときに、すごく熱いものがこみ上げてきました。
彼らは社会に不満を言うわけでもなく、生んだ親を恨むわけでもなく、ただ純粋に社会の一員として彼らができることをやりたい!と願っている。さらに、応援してくれるみんなに感謝を忘れずに生きている。
福祉の原点はここにあるのではないかと思います。彼らはきっと誰とも競争しないで生きていくでしょう。何かを勝ち取るというより、奪われる側です。それでも自分にできることを探して生き生きと輝ける、すばらしい人たちです。
出来ないからこそ努力する、のは良いことですが、誰かに勝つために、奪うために、ただ競争のためにその努力が行われることは不幸なことです。
成人式に参加して、親の有り難さや、ただそこに在るだけの有り難さ、『幸せ』についてたくさん考えさせられました。
招待して頂いた高良さん、ありがとうございました!!
成人式に参加してみると、一度診断書関係でクリニックを受診した子や、以前に診療していた子とも再会することができました。みんな元気でうれしかったです。
成人しても、周囲の手厚い協力、援助なくして暮らしていけない彼らの表情は、それでも、自信ありげで、頼もしく、素直な喜びに溢れていました。
式の締めくくりで、成人代表が、『これからも周りに助けてもらいながら頑張っていきたいと思います』と述べたときに、すごく熱いものがこみ上げてきました。
彼らは社会に不満を言うわけでもなく、生んだ親を恨むわけでもなく、ただ純粋に社会の一員として彼らができることをやりたい!と願っている。さらに、応援してくれるみんなに感謝を忘れずに生きている。
福祉の原点はここにあるのではないかと思います。彼らはきっと誰とも競争しないで生きていくでしょう。何かを勝ち取るというより、奪われる側です。それでも自分にできることを探して生き生きと輝ける、すばらしい人たちです。
出来ないからこそ努力する、のは良いことですが、誰かに勝つために、奪うために、ただ競争のためにその努力が行われることは不幸なことです。
成人式に参加して、親の有り難さや、ただそこに在るだけの有り難さ、『幸せ』についてたくさん考えさせられました。
招待して頂いた高良さん、ありがとうございました!!

1: 匿名 2009年01月12日(月) 午後11時29分
先生、ちょっと今日の内容は個人的にショックが大きいです・・
生んだ親を恨むわけでもなく、、なんて、、いろんな光景がよみがえってしまいました。先生はやっぱり医療者なんですね。
2: 院長 2009年01月13日(火) 午前9時23分
匿名さん>>初めての書きこみありがとうございます。内容にショックを受けたとのこと、大変恐縮です。生んだ親を恨むというクダリ、決して僕だけのセリフではありません。これまでたくさんの重症心身障害児の親とお話ししてきて、その親御さんから出た言葉でもあります。僕の本意が伝わっていないのかと思うと残念ですが、受け止める側はいろいろなんですね。ご意見ありがとうございました。
3: ひかり 2009年01月13日(火) 午前9時43分
こんにちは。初めての書き込みですが、先生のコメントはとても心に響きましたよ。ただそこに在るだけ、その人が存在している幸せというのは、究極の純粋なる幸せだと思います。その幸せの心をスペシャルの子供達はみんな持っているのだと思います。周囲の人々がそれを共感できるかどうかで物事は変わっていくと思います。スペインで数々の困難を乗り越えてこられたある施設の園長さんが”可能性を求めていけば限界を超えられる”と言われてましたが、その通りだと思います。けして物理的なものだけではなく、みんながこころの限界という目に見えない限界を超えられる気づきを持たれるとよいですね。先生はその気づきを十分に持たれた数少ない医療者だと思います。
4: 院長 2009年01月13日(火) 午前10時28分
ひかりさん>>はじめまして。ありがたい御言葉、こちらも恐縮です。可能性を求めて行けば限界を超えられる、良い言葉ですね。僕は医師なので、医学的常識を求められて、親御さんに時に非情な告知をしなければならないときがあります。でも僕らの知識にある限界とは、おそらく小さなものなのでしょう。いつまでも可能性という希望だけは捨てないでいたい思います。
5: すぐる 2009年10月29日(木) 午後6時13分
こんにちは。私は小学5年から中学部まで大平養護学校にいました。2004年に成人を迎え、大平の成人式に参加しました。私は小5のとき普通小学校から転校し、大平養護学校では嫌なことや納得行かないこともあって、このまま高等部に進学するのはいやだったので、1年置いて通信制高校、大学へと進みました。大平に転校する前は、「養護学校ではしかられないだろう」と父親が言っていたが、転校してみると悪いことは徹底的にしかられたので、「言っていたことと逆だ」だまされた感がしました。しかし、悪いことをしてもしかられない都合のよい場所はどこにもなく、今考えると、社会で通用する人間になるためには必要な教育を受けたと思います。転校してからの変化のひとつとして、給食で嫌いなものを無理やり食べさせられるようにました。その他、わがまま放題の小4から一転、悪いことをするとしかられる生活になり、ストレスがたまったせいか、5年の6月に体調を崩し、約1週間学校を休みました。それがきっかけで、本当におかしな話ですが、毎週月曜日の夕方に決まって気分が悪くなって夕食を食べませんでした(中2の秋まで続きました)。
給食で嫌いなものを無理やり食べさせられたのは最初はいやでしたが、それによって健康管理という概念が身についたので、感謝しています。
6: 院長 2009年11月03日(火) 午後5時01分
すぐるさん>>コメントありがとうございます。すぐるさんが養護学校を経て、通信高校、大学まで行かれたとのこと、大変な努力をなされたのでしょうね。感服いたします。養護学校で学ばれた社会性こそ、学習よりも身辺自立に力点を置く養護学校ならではのことだと思います。現在就学指導があちらこちらで行われており、進路に迷う親御さんへのエールにもなるコメント、感謝します。
7: すぐる 2010年02月17日(水) 午後3時56分
2月25日の琉球新報の「僕の意見 私の主張」の欄に、「障害者」という呼び方を見直してほしいという意見を投稿した生徒さんがいました。その子はひらがなの「障がい者」でもまだ納得いかないとして、「チャレンジャー」と呼ぶべきだと言っていました。私は「チャレンジャー」とか「チャレンジド」と呼ぶことには反対です。なぜならチャレンジすることを強制されている感じがして、当事者に余計プレッシャーをかけることになりかねないからです。障害の害の字の悪いイメージを払拭するため「障がい(障碍)」と書かれるようになっただけで十分良いことだと思います。
8: 院長 2010年02月20日(土) 午後8時53分
すぐるさん>>またまたコメントありがとうございます。僕も呼び名であれこれ議論するのはどうかと思います。人それぞれ言葉からイメージする意味あいが異りますよね。考え深いです。
9: lei 2010年02月21日(日) 午後9時59分
すぐるさんへ、
前回のすぐるさんのコメントで、親として、ものすごく勇気づけられました。“悪い事をしても都合のいい場所はどこにもなく” 飛び出していかなければいけない社会は、常にそこにある、いろんな事と向き合って、ストレス感じて、でも、しっかりと前進してきたすぐるさん。感謝するというのは、人を幸せにすると、私は思います。感謝の気持ちがわいてくる時、私自身、自分がちゃんと乗り越えてきた事を噛み締める事ができます。すぐるさんが、これからも大変さのなかにも、たくさんの感謝と幸せをかみしめる瞬間、いっぱい待ち受けているはずで、私も、それを感じていけたらいいと思います。 “障がい” ....って結局周りの理解との壁 なんですよね。言葉って難しいですね。私の子供達も,私も含め、それから、何かしら難しさを抱えているすべての人が、一人一人、自分らしく生きやすい世の中になる事、心から願います。